不登校児が教えてくれたもの

「不登校児が教えてくれたもの」(森下一著。グラフ社出版) という書籍の中に、心打たれるこんなお話がありました。

斉藤強君は中学校一年のころから不登校になる。まじめでち ょっとしたつまずきでも自分を激しく責めた。アルバイトや就職を試みるが、その度に失敗して次第に自己卑下と自責の念が蓄積、自分は生きる価値がない人間なのだと思いつめるように なる。自殺を図ったのは二十歳の春。彼はガソリンをかぶった 。精神科医の忠告で彼の様子を見守っていた父親はその瞬間、 息子を抱きしめた。自分もガソリンにまみれて叫ぶ。「強、火をつけろ。」二人は抱き合い、声をあげて泣き続けた‥。

後に強君は精神科医の森下さんに、一緒に死んでくれるほど 、父親にとって自分はかけがえのない存在なのか。あの時生まれて初めて、自分には生きる価値があるのだと実感できた。と告白したそうです。
なんとすばらしい愛でしょう。また私たちの心の奥底には、かけがえのない、尊い、価値のある存在と して認められたい。愛されたい。そんな願いがあるのではないでしょうか。

そして聖書の中にはこの愛に勝る、さらに素晴らしい愛の物語が記されています。それは私たちが住むこの世界と、その中にあるすべてのものをお造りなられたお方、天におられるまことの神様の愛の物語です。

神様はご自身から離れ、迷い、罪ある者となった私たち人類を愛し救うために、最愛のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わし、私たちの罪の身代わりとして十字架につけ、その身代わりの死によって私たちのすべての罪を赦し、神の子として特権を与え、永遠のいのちを与えるという驚くべき救いを与えてくださいました。

あなたも神様に愛されています。ここに新しい、希望に満ちた人生の始まりがあります。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ書43章4節
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書 ヨハネ3章16節)